ふたりの旅路

代表作となった「千曲川」に次ぐ、猪俣公章の作曲による第2弾「ふたりの旅路」は、“五木ひろしが初めて取り組む本格演歌”と大きく宣伝されたんです。

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そのレコードにはジャケットのほかにも、山口洋子と猪俣の挨拶文を収めた小カードが追加挿入されるほどの力の入れようでした。

この曲は最高位14位、登場週数22週、20万枚を超える売上げを記録しました。

NHK紅白歌合戦

五木さんは、1971年の第22回大会に「よこはま・たそがれ」で初出場を果たして以来、現在まで連続出場を継続中なんです!

出場した年より以前に自身のオリジナル・シングルとして発売された曲を歌ったことは4回しかありません。過去に歌った曲を再度歌ったことは2回しかないんです。また、同じ曲を3回以上歌ったことはありません。

五木さんのように、その年に発売された自身のオリジナル曲”で紅白歌合戦に出場することは、“現役のヒット歌手”ということを証明するものであるため、価値が高いそうです。

そんな五木さんの出演ギャラは10,000,000円で、歴代最高峰であると報道されています!

今年ももちろん出場予定。
何を歌ってくれるのか楽しみですね!

千曲川


1975年の勝負作として投入された旅情演歌「千曲川」は、

もともと猪俣公章が春日はるみ(新人時代の川中美幸)の不振を打開するために用意した作品でした。

星野哲郎によってタイトル(「笛吹川夜曲」)も詞も既にでき上がっており、LPに収録されました。

しかし、かねてより五木の“NHK紅白歌合戦での初トリと2回目の日本レコード大賞獲り”を願っていた

山口洋子は、この三拍子のメロディーの美しさに惚れ、猪俣から略奪に近い形でこれを譲り受けます。

信濃川と名前を変え、とうとうと日本海に注ぐ“日本一の大河”千曲川を詠った明治の文豪、

島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に感銘を受けた山口は、これを「千曲川」に改題し、

あえて現地には赴かずに東京に居ながら現地の情景を憧憬にも似た想いで詞を練ったといいます。

その際、演歌にありがちな愛や色恋や情の部分をなくします。

これらが功を奏し、最高位6位、登場週数42週、45万枚を超える売上げを記録!

五木の代表作のひとつとなるのです。


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この曲で第4回東京音楽祭国内大会ゴールデン・カナリー賞を2年連続2回目の受賞し、

世界大会へ2年連続2回目の出場を果たします。

また、第4回FNS歌謡祭'75音楽大賞下期最優秀視聴者賞(4期連続4回目)、

第1回日本テレビ音楽祭グランプリ、第6回日本歌謡大賞放送音楽賞(5年連続5回目)、

第6回日本歌謡大賞放送音楽特別連盟賞(受賞理由:5年連続での放送音楽賞受賞に対して)、

第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞(2年連続2回目。通算・連続ともに歴代第1位)を

それぞれ受賞!

初めての白組トリを務めた第26回NHK紅白歌合戦でも歌われた曲です。

巣立ちの時

1975年、師匠である平尾昌晃からいよいよ巣立ちます!
本格的に外部の作曲家の作品を歌い始めるんですね~。

森田公一さんを作曲に迎えたポップス演歌「哀恋記」は、軽いアクションが話題を集め、最高位10位、登場週数16週、15万枚を超える売上げを記録したんですよね。
爆発的に売れた感じでしたね^^
この曲で、第3回FNS歌謡祭'75音楽大賞上期最優秀視聴者賞を3期連続3回目の受賞をします。

音頭もの「さくら音頭」は、桜の季節に合わせて発売になり、和服姿で披露~~!
1934年に各社競作で発売になった同名異曲が存在することから紛らわしいとして、後年「ひろしのさくら音頭」と題名を変更します。
同じのがあるものなんですねぇ・・・。

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譲りました。

当時の新聞や雑誌には、一連の騒動について、“買収”や“札束が飛び交う”、“札束攻勢”などと書かれていたそうです。

最終的には、前年に大賞を獲得している五木さんがまだ受賞していない「最優秀歌唱賞を欲しい!」と宣言し照準を変更することによって、大賞候補として1968年から1971年まで4年連続でノミネートされながらもすべて逃しているところから「今度こそは何が何でも大賞を!」と意気込む森さんに大賞を譲ったものといわれています。

何だかんだで仲良しですね。
ライバル友ですね^^

一騎打ち

特に日本レコード大賞を巡る森進一さんと五木さんの一騎打ちは激しいです。
今日でさえ当時の事情を知る関係者の間では、“日本レコード大賞史上最大の激戦”として語り草になっているそうです!私にとっては、見ものですが^^

森進一さんにとっては初の大賞受賞を、そして五木さんにとっては史上初となる連続での大賞受賞を、それぞれ目指したのですが、歌手としての力量やレコードの売上げ、一年間を通しての活躍度等は“互角”との評価でした。最強のライバルですね!

当時の審査システムが“無記名投票”を採用していて、受賞の成否はその盲点を突き“審査員に対する多数派工作に係る”と判断された為、事態は段々と“場外バトル(裏工作合戦)”というものに・・・。
うーん・・・、凄いとしかいえませんが・・・。

古賀メロディー

五木さんはデビュー当初から「古賀メロディーを自分の持ち歌にしたい」と希望していたそうですが、古賀政男さんがコロムビア専属作曲家であったので・・・つまり“レコード会社間の壁”に阻まれていたのです・・。(;;)

でも、その後やっと五木さんの熱意が実り、古賀メロディー「浜昼顔」が誕生するには誕生しますが・・・五木さんの為に書き下ろされた新曲という訳にはいかず・・。うーん、でも貰えただけでも感謝ですけどね、複雑です。

古賀政男さんは既に発表された自作曲にリメイクを施した上で再発表することが何度かあり、今回も1936年7月頃、藤山一郎に提供した「さらば青春」にリメイクを施し、1955年12月、青木光一さんに「都に花の散る夜は」として提供したものに再度リメイクを施し、詩人の寺山修司さんが題と詞を付け直している複雑な工程を経て出来た曲なのです。

最高位5位、登場週数29週、40万枚に迫る売上げを記録しました^^

多忙でした

ほぼ毎日放送されていた歌謡番組は大半が生放送であったため、五木は決してアイドルではないにも拘らず、連日各放送局を掛け持ちで出演するなど多忙を極める。

その都度、特徴的な人懐っこい“細い目”を再三に亘り司会者などから茶化されるが、それを五木は軽妙に切り返して笑いを誘うなど、コミカルな部分をも持ち合わせていた。
物真似番組にも数多く出演し、チャンピオンに度々選抜される。
テレビに限らず、ラジオ、新聞、雑誌などマスコミ各社からひっぱりだことなるなど人気を博す。

スマッシュ・ヒット

第三弾シングル「かもめ町みなと町」は前作同様にマドロス演歌ながらも、敢えてアイドル歌謡を中心に手懸けて実績を残しつつあった筒美京平を作曲に迎え、最高位11位、登場週数18週、15万枚を超える売上げを記録。

第四弾シングルとして藤本卓也を作曲に迎えた「待っている女」は、ポップス演歌とプロモーションされ、最高位6位、登場週数22週、25万枚を超える売上げを記録。

ポップス演歌第二弾となる「夜汽車の女」は、前作の続編的性格を持ち、スマッシュ・ヒットに終わる。

腰をシェイク

マイクを左手で持ち、右手は拳を握り締め、腰をシェイクさせてリズムを採る独特の歌唱スタイルは、同じ野口プロモーションに所属していたキックボクサー・沢村忠の“ファイティング・スタイル”からヒントを得たもので、物真似をされるほどに五木の代名詞(トレードマーク)として定着してゆく。五木は「“拳”は演歌の“コブシ(小節)”を斯けている」と語っている。

「よこはま・たそがれ」はオリコン・シングル・チャートで、最高位1位、登場週数46週、65万枚に迫る売上げを記録(以下、文中のチャート・データはすべてオリコン・シングル・チャートに基づく)し、幸先の良い再スタートを切る。